深川ワイナリー東京・カベルネ・ソーヴィニヨン・安曇野・長野・ 2020
その日、幇間(タイコモチ)の左岸豊作は店賃の先延ばしを頼みに大家のところを訪れた。
「旦那、御在宅でゲスか」
「おや、左岸の師匠。珍しい。近頃見なかったね」
「なんだかご無沙汰しちゃってすいません。一寸(ちょいと)あたしを贔屓にして下さる、お得意の義理があって、旅のお供してまして」
「ほう、そいつぁ剛毅だ。で、どの辺(あたり)の話だい?」
「一寸(ちょいと)ボルドーまで」
「んーなんだな、ちょっと師匠、そこにお座んなさい」
「さっきから座ってます」
ポン!
大家がキセルを煙草盆に叩く音が響く。
「ねえ師匠、あんた店賃どんだけためてるのかわかってるかい?」
「なんとなくウスウスは・・・」
「3ヶ月だよ、3ヶ月。それをなんだい。少しも顔見せないで。隠れて逃げ回ってるな、とは思ってたが・・・ボルドーに遊(あす)びィ行ってました、だってェ?」
「ちょ、ちょ、ちょっと旦那、まってくださいよ。はばかりながらあたしも幇間(タイコモチ)の端くれだ。成金の嫌な野郎が、イヤイヤ、カモが、イヤイヤ、大事な金づるが、イヤイヤ、大事なあたしの贔屓筋が奢って下さるてェ話だ。ただ飯ただ酒は幇間(タイコモチ)の法(のり)てェもんだ。断っちゃあバチが当たる。ただ、それがちょいと大商いになりましたってェだけの話でしてね」
大家は力まかせにキセルに煙草を詰めた。
「んーなんだな、師匠、そこにお座んなさい」
「さっきから座ってます」
「贔屓にボルドー旅行を奢らせるなんざ、並の幇間(タイコモチ)にゃ出来ない仕事(わざ)だ。師匠、あんたいい腕してるねえ」
「イヤー、エヘヘへ。それほどでも」
大家、キセルを強く吸い吐き出す。
「そんだけの腕を持っててどうして、店賃をためるんだ!って話だよ。納得出来る説明をしてもらおうじゃないか!」
「あたたたた、こいつは痛いところを。正直に言います。実はあたしはお座敷のプロデュースがちいと不得手(いけない)クチでござんしてね」
「おいおい、幇間(タイコモチ)の稼ぎの柱じゃないか」
「この芸者とあの芸者をセレクト、こっちのお客には芸者の芸を見せ、あっちのお客には”得意の都々逸を“なんて捻(ひね)らせていい気にさせる。そっちのお客には端唄小唄やらせて、なんだったら見台まで用意して義太夫を一節唸(うな)らせて芸者と一緒に“どうするどうする”なんてやんやと囃し立てていい気持ちにさせる。なんてぇディレクター業はうまいんでござんすよ」
「・・・・・」
「もちろんサシでのヨイショも名人芸、あたしの右に出るもんはそいつの左にしかおりません」
「んん?」
「結局自分に帰るてサゲでして」
ポン!
大家は焦れて言った。
「だからなんなんだい!」
「怒っちゃいやですよ、怒っちゃ。ところがですね、財布(せいふ)を預かって全部取り仕切ってくれなんてェプロデューサー業まで頼まれるともう終(しま)いです。道楽(あすび)の虫がムクムクと。自分の取り分使っちまうか、下手すりゃ赤字」
大家の眼が光った
「道楽(あすび)って、師匠あんたまさか」
左岸豊作の眼も光った。
「そうですワイン頼んじまうんです」
「うわ」
「しかもお座敷にソムリエ呼ぶんです」
「うわわ」
「世の中よくしたもんで、着物着た粋なソムリエールなんてェご婦人が居たりして」
「うわわわ」
「1970年代からのペトリュス垂直とか」
「うわわわわ」
「5大シャトー水平をさらに10年垂直とか」
「うわわわわわ」
「スクリーミング・イーグル のマグナムボトルとか」
「うわわわわわわ」
「ロマネ・コンティ頼まないだけありがたいと思いやがれこんちくしょう」
「うーん・・・吐き気が」
大家は気持ちが悪くなってきた。
「師匠もういいよ」
「こさえた借金は億を超え」
「もういいって言ってんだろう!」
「本当(んとう)はそれに比べりゃボルドー旅行なんて小商いもいいとこで」
「黙らっしゃい!」
「まあ聞いておくんなさいよ、旦那、実は私にゃ大望がありまして」
大家は毒気に当てられ力なく聞いている
「・・・・・・・・・・」
「今でこそ、こんな商売(なりわい)のあたしですがね。近い将来ワイン評論家としてデビューしようて了見なんでさ」
確か店子に似たようなこと言ってる奴がいたなあ、と大家はボウっとしながら思い出していた。
そうだ袋小路んとこのおとっつァん、と転がり込んできた俺の甥っ子だ。しかしどうして俺の長屋の店子ってのはどいつもこいつも店賃ためるほど金がないくせに高いワイン飲んでやがんのかね。挙句にワイン評論家になるって?
だめだだめだコイツらを放っておいたら、他の店子に示しがつかない。店賃溜めて、平気で高級ワインかっくらってる貧乏マニアの巣窟になっちまう。一寸(ちょいと)意見してやろう。
「店賃のことはまあいい、良くはないがいいとしよう。それよりそれだけ舌の肥えてる師匠に頼みがある」
「ありがとうございます。流石は旦那。江戸中でも音に聞こえたいい男!男前で太っ腹。お若いころ群がるご婦人をかき分けかき分け歩いてたってもっぱらの噂、聞いてますよ。ご婦人からいただいた付け文で風呂を沸かしたってじゃないですか!今じゃ加えて渋みまで増して、男のあたしでも震えがくるほどの男っぷり。憎いよっ!このっ!後家殺し!で、頼みってななんです?こうなったら私は旦那のためなら命もいらない。墨田の塔から飛べって言われりゃ飛びますよ!」
「つまらんヨイショだねえ、名人芸ってその程度かい?まあいい。頼みというのはワインを飲んでほしいのさ」
大家は奥に声をかける
「おーい、あれ持ってきておくれ」
「こいつだ。こいつを試してみてくれ。ワイン評論家の意見が聞きたい」
「へっ?ワインのテイスティングですか。墨田の塔から飛ばなくっても宜しいんで?そんな話、俺はしてない?そうでしたかね。ま、ようがす。ワイン飲むならお手のもんだ。じゃちょっくら失礼しますよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「旦那、これは何処の作り手で?」
「門前仲町(もんなか)んとこの深川ワイナリーだな」
「・・・大店(おおだな)じゃねえですか・・・・・」
「エチケット見てみるかい?」
「長野って書いてありますね」
「書いてあるなあ」
「書いてありますね。しかもカベルネ・ソーヴィニヨンって書いてある」
「書いてあるなあ」
「書いてありますね」
「間違いなく書いてあるよな」
「嘘だあ!」
豊作は叫んだ。
「カベルネ・ソーヴィニヨンてのは何処の国で作ったってカベルネ・ソーヴィニヨンっぽさが出ちまうもんだ、熟成してない若いヴィンテージなら尚更だ。アッサンブラージュの割合がどうであれ(ぽさ)が出る。ところがこいつぁ100%カベルネ・ソーヴィニヨンなのに・・・」
「カシスもブラックベリーもダークチェリーもピーマンもないだろう?」
「ない・・・・・。先ず色が変わってる、ルビーでもガーネットでもない、小豆色だ。香りに果実や花の特徴はないのに香りの奥の方にセメダインみたいなアルコール臭がある。味わいには酸味は感じる。甘さは少なくタンニンもない。こなれたタンニンってのじゃない。ないんだ。だから酸味やタンニンと果実味が一体になる赤ワインらしさがない。酸味、果実味、香りがバラバラに御座(ござっ)てる。ちょっとこれは・・・・・・」
「どうだい師匠。未来のワイン評論家。そこそこ売れてるワインだてェ話だぜ」
今度は豊作が黙ってしまった。
「・・・・・・・・・・」
「師匠わかったろう。門前仲町(もんなか)の大店(おおだな)にしてこれだ。しかもちゃんと商いになってる。自分の仕事(わざ)に胡座をかいて商売をおろそかにするお前さんとは格が違う」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・旦那分かりやした。自分と真逆な姿を見せられて、返(かい)って自分の駄目さ加減がよう分かりやした」
「分かってくれたかい、よかった」
「ヘイ」
「これからは、自分の仕事(わざ)に見合った商いでしっかり稼いでおくれ」
「ヘイ」
「幇間(タイコモチ)の腕はいいんだ。それでしっかり稼ぎ、悪い借金を返し、俺んとこの店賃も綺麗にしておくれ」
「ヘイ」
「ワイン評論家になろうなんてのは、それがすっかり済んでからだよ」
「ヘイ」
「じゃあ、お祝いに乾杯と行こう」
「ヘエ?」
大家は自分と豊作のグラスにワインをサーブした。
「旦那、まだ飲むんですかい?」
「ワインだと思って飲むからいけない。一風変わった果実酒だと思えば、これはこれで美味い酒だ」
「ものは言いようですねえ」
「実はもう1本あるんだがね、なかなか飲む機会がなくて。付き合っておくれよ」
「へエ?」
「おんなじシリーズの長野のメルローだ」
「うわわわわ」
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墨田の塔から飛ぶと左岸豊作が言っていたのは、古典落語「愛宕山」のパロディです。
普通、古典落語で幇間(タイコモチ)といえば一八(いっぱち)さんなんですが。まあここはワイン長屋なのと、漫画「巨人の星」の登場人物をもじるのが恒例になってますので左岸豊作という名前にさせていただきました。「愛宕山」は元々は上方落語なんですがこれだけ(フェイクな)江戸弁をまき散らしているワイン劇場ですから宣伝も江戸落語にします。一番有名な文楽師匠のCDとかいかがでしょう。本当はDVDとかあればいいんですが(所作が美しい)さすがに時代的にソースがあまりないんでしょう。でも音声だけでも沢山(たんまり)笑えますよ。